氷厘亭氷泉の活動やラクガキをいろいろお届けしているブログです。
昨日は火なモノだった「和漢百魅缶」本日は
草なモノからとりだしまして、「とうもろこしのたたり」さんです。

ある特定の植物を、この村では作物としてつくる事をしません、とか、
ある特定の植物は、この村では昔から生えたり育ったりしません、とか、
植物の植えたりどうしたりに関するアレコレは
全国各地にいろいろわんさわんさ伝わって来たワケですが、
こちらは、そんなもののひとつで、
上野国のある村では、むかしトウモロコシを作っちゃダメ!
という言い伝えがあったんですが、
「なんだ、そんなの迷信だもんねーだ!」
と、あるお百姓さんがトウモロコシを畑で大制作しだしたところ、
芽がでて、ふくらんで、まであたりは進んだものの、
急に、まがつごとが連発頻発しだしてついには一家崩壊。
その家はほろびてしまったんだとか。
いまの時代からすると、なんでそもそも作物に制限があるんだろ?
と思ったりするかも知れませんですが、
習俗とか神様とかから来るもののほかにも、
土壌とか風光とか体質(アレルギー?)とか、科学的なことで
つくるのを忌んでたというものもあるらしいので、
その厳密な奥意はちょっとフクザツです。
草なモノからとりだしまして、「とうもろこしのたたり」さんです。

ある特定の植物を、この村では作物としてつくる事をしません、とか、
ある特定の植物は、この村では昔から生えたり育ったりしません、とか、
植物の植えたりどうしたりに関するアレコレは
全国各地にいろいろわんさわんさ伝わって来たワケですが、
こちらは、そんなもののひとつで、
上野国のある村では、むかしトウモロコシを作っちゃダメ!
という言い伝えがあったんですが、
「なんだ、そんなの迷信だもんねーだ!」
と、あるお百姓さんがトウモロコシを畑で大制作しだしたところ、
芽がでて、ふくらんで、まであたりは進んだものの、
急に、まがつごとが連発頻発しだしてついには一家崩壊。
その家はほろびてしまったんだとか。
いまの時代からすると、なんでそもそも作物に制限があるんだろ?
と思ったりするかも知れませんですが、
習俗とか神様とかから来るもののほかにも、
土壌とか風光とか体質(アレルギー?)とか、科学的なことで
つくるのを忌んでたというものもあるらしいので、
その厳密な奥意はちょっとフクザツです。
どどーんと本日の「和漢百魅缶」は、
弟麻呂、田村麻呂、綿麻呂とマロ三連続につづく
大和朝廷の征夷大将軍だったおかた、「ふじわらのただぶみ」さんです。

藤原純友や平将門が大和朝廷に叛旗をひるがえしていた頃、
征夷大将軍として活躍していたひとなのですが、
平将門を鎮めにゆく勅命をたまわって進軍したものの、
相馬にたどり着く前に、俵藤太とかがこれを鎮圧。
そのため、都では「忠文は一矢も放っておらぬ」として
藤原大納言実頼などが恩賞の下賜ゼロを声高に主張。
これに怒りをおぼえた忠文は怒り心頭に発して、
(握った手の中でツメが肉に突き刺さりまくって血があふれる程に)
内界外界の悪神と邪慢我慢の魔王に誓って断食を行い七日目に死亡。
その霊鬼は洛中に疫病を巻き起こして、
おおくのひとびとを苦しめましたので、これを宇治にまつって、
その霊をなぐさめ申したのじゃ。
――と、いうのが、『前太平記』などにある
藤原忠文さまにつけられている昔話で、
講釈を通じて江戸時代にも錦絵などの題材になってるのですが、
忠文の歿年は947年、
将門の乱の鎮定は940年(純友の乱は941年)であって、
『前太平記』の、「講釈師見てきたようなウソを言い」の類のようです。
実際の、藤原忠文は文武忠義そなえた良将として知られていて、
征夷大将軍の任を受けるしらせが屋敷に来たとき、
食事中だった忠文は、ごはんを食べてた箸をおっぽりなげて、
あっと言う間に御所に参内した、という話が有名。
弟麻呂、田村麻呂、綿麻呂とマロ三連続につづく
大和朝廷の征夷大将軍だったおかた、「ふじわらのただぶみ」さんです。

藤原純友や平将門が大和朝廷に叛旗をひるがえしていた頃、
征夷大将軍として活躍していたひとなのですが、
平将門を鎮めにゆく勅命をたまわって進軍したものの、
相馬にたどり着く前に、俵藤太とかがこれを鎮圧。
そのため、都では「忠文は一矢も放っておらぬ」として
藤原大納言実頼などが恩賞の下賜ゼロを声高に主張。
これに怒りをおぼえた忠文は怒り心頭に発して、
(握った手の中でツメが肉に突き刺さりまくって血があふれる程に)
内界外界の悪神と邪慢我慢の魔王に誓って断食を行い七日目に死亡。
その霊鬼は洛中に疫病を巻き起こして、
おおくのひとびとを苦しめましたので、これを宇治にまつって、
その霊をなぐさめ申したのじゃ。
――と、いうのが、『前太平記』などにある
藤原忠文さまにつけられている昔話で、
講釈を通じて江戸時代にも錦絵などの題材になってるのですが、
忠文の歿年は947年、
将門の乱の鎮定は940年(純友の乱は941年)であって、
『前太平記』の、「講釈師見てきたようなウソを言い」の類のようです。
実際の、藤原忠文は文武忠義そなえた良将として知られていて、
征夷大将軍の任を受けるしらせが屋敷に来たとき、
食事中だった忠文は、ごはんを食べてた箸をおっぽりなげて、
あっと言う間に御所に参内した、という話が有名。
ずわーん。通算2112、カガミみたいな数字並びの「和漢百魅缶」本日のアップは、
うらないにたよりすぎるのはヤメヨウ。「わりいし」さんです。

むかしむかし、称徳天皇(孝謙天皇が2回目の即位をした時の諡号)の頃。
西大寺の礎石につかうために
山から出してきた石をエンヤコラ引っぱって来たのですが、
この石、なんだかおかしい石で、
何千人ものチカラで引っぱっても、一日で動く距離は、
数歩程度。
ときどきヘンな音もたてたりするし、こいつぁーヘンな石だなぁ。と
みんなが思い出したので、大和朝廷は原因をうらなわせてみた。
出た結果は、「この石はあやしいものです」というもので、
さっそくこの石を、燃やして、お酒を流しかけて、(殺菌作業みたいだネ)
バラバラに打ち砕いて、そのあたりの道に打ち捨てさせました。
ところが、
ひと月すぎたあたりで、みかどの調子が悪くなる、
大和朝廷は、その病原体をさぐるためにうらないをさせますと、
出た結果は、「この前の石のたたりのせいでございます」というもの。
そこで、さっそく、路傍の石として野っぱらに転がっていた
この「わりいし」のかけらを叮嚀に集めて集めて、
お寺の敷地内にうつしたりしたんだトカ。
……んー。コマッタモンダナ。
うらないにたよりすぎるのはヤメヨウ。「わりいし」さんです。

むかしむかし、称徳天皇(孝謙天皇が2回目の即位をした時の諡号)の頃。
西大寺の礎石につかうために
山から出してきた石をエンヤコラ引っぱって来たのですが、
この石、なんだかおかしい石で、
何千人ものチカラで引っぱっても、一日で動く距離は、
数歩程度。
ときどきヘンな音もたてたりするし、こいつぁーヘンな石だなぁ。と
みんなが思い出したので、大和朝廷は原因をうらなわせてみた。
出た結果は、「この石はあやしいものです」というもので、
さっそくこの石を、燃やして、お酒を流しかけて、(殺菌作業みたいだネ)
バラバラに打ち砕いて、そのあたりの道に打ち捨てさせました。
ところが、
ひと月すぎたあたりで、みかどの調子が悪くなる、
大和朝廷は、その病原体をさぐるためにうらないをさせますと、
出た結果は、「この前の石のたたりのせいでございます」というもの。
そこで、さっそく、路傍の石として野っぱらに転がっていた
この「わりいし」のかけらを叮嚀に集めて集めて、
お寺の敷地内にうつしたりしたんだトカ。
……んー。コマッタモンダナ。
さぁほい。本日の「和漢百魅缶」でござーる。
24時間以内にババーンと成育。「はちまんじんじゃのき」さんです。

あっという間に巨木になって、
あっという間に枯れて無くなっちゃう「覇図」な樹の仲間で、
東京の小石川の富坂にあった八幡神社
(どの神社なのかはチト不明)の境内に
明治の頃のある日、突然、ボバーンと生えたと思ったら、
次の日には、根本からズボッと幹が折れて、
枯れ果てていたといいます。
よっぽど地べたの肥やしがヨカッタのかね?
24時間以内にババーンと成育。「はちまんじんじゃのき」さんです。

あっという間に巨木になって、
あっという間に枯れて無くなっちゃう「覇図」な樹の仲間で、
東京の小石川の富坂にあった八幡神社
(どの神社なのかはチト不明)の境内に
明治の頃のある日、突然、ボバーンと生えたと思ったら、
次の日には、根本からズボッと幹が折れて、
枯れ果てていたといいます。
よっぽど地べたの肥やしがヨカッタのかね?
いわしのこぼねと格闘しました。
さ、「和漢百魅缶」通算2110個目のアップは、
おねがい一升くださいなー。「さけかいみろく」さんです。

信濃国の明徳寺にある弥勒菩薩の像で、
むかし、小坊主に化けてはチョクチョク酒屋さんに行って
「おつかいで参りましたー」と言って、
一升ずつお酒を買っていったというもの。
いつまでも寺から酒代を持ってこないので、
酒屋さんが寺に行ってきいてみると、誰も酒など買ってない、の一点張り。
こいつは妙だ、と酒屋さんが思っていると、
また、いつもの小坊主が「一升たのまれました」ときたので、
「この野郎ッ」と荒縄でグルグル巻きにしちゃいました。
こいつを明日、寺につきだしてやる、と考えての次の朝、
コケコッコーとしばっておいた小坊主を見にいけば、
そこにはカゲもハゲも無し。
しかし、足跡が残っていたので、たどりたどれば、やっぱりそこは明徳寺。
和尚たちを起こして探させると、弥勒堂に足跡があったので、
戸をあけて入ってみると、菩薩さまの像が荒縄でしばられてたんだとさ。
さ、「和漢百魅缶」通算2110個目のアップは、
おねがい一升くださいなー。「さけかいみろく」さんです。

信濃国の明徳寺にある弥勒菩薩の像で、
むかし、小坊主に化けてはチョクチョク酒屋さんに行って
「おつかいで参りましたー」と言って、
一升ずつお酒を買っていったというもの。
いつまでも寺から酒代を持ってこないので、
酒屋さんが寺に行ってきいてみると、誰も酒など買ってない、の一点張り。
こいつは妙だ、と酒屋さんが思っていると、
また、いつもの小坊主が「一升たのまれました」ときたので、
「この野郎ッ」と荒縄でグルグル巻きにしちゃいました。
こいつを明日、寺につきだしてやる、と考えての次の朝、
コケコッコーとしばっておいた小坊主を見にいけば、
そこにはカゲもハゲも無し。
しかし、足跡が残っていたので、たどりたどれば、やっぱりそこは明徳寺。
和尚たちを起こして探させると、弥勒堂に足跡があったので、
戸をあけて入ってみると、菩薩さまの像が荒縄でしばられてたんだとさ。
本棚のせいりせいとんにいそがしい日々です。
分類がおおざっぱなので、今回はちゃんと分類をしつつ……やるつもり!
と、そんなさなかにアップする「和漢百魅缶」は
化けましておめでとう。「ばけしろへび」さんです。

気仙沼に伝わる昔話にあるもので、
母ひとり娘ひとりのふたり暮らしの家がありまして、
その家に、ある日からキレイな若者が通ってくる、娘とイイ仲になる、
しかし、どこの誰かがわからない、
そんなとき、母親が考えたのは
糸をつけた針を若者のキモノにくっつけといて、
糸をつたって家をつきとめちゃおう、という尾行方法。
さっそくやってみたところ、たどりついたはナゾのアナ。
中には白蛇がいたのでした。
――と、いう神代の頃からある型の昔話のおひとつデす。
分類がおおざっぱなので、今回はちゃんと分類をしつつ……やるつもり!
と、そんなさなかにアップする「和漢百魅缶」は
化けましておめでとう。「ばけしろへび」さんです。

気仙沼に伝わる昔話にあるもので、
母ひとり娘ひとりのふたり暮らしの家がありまして、
その家に、ある日からキレイな若者が通ってくる、娘とイイ仲になる、
しかし、どこの誰かがわからない、
そんなとき、母親が考えたのは
糸をつけた針を若者のキモノにくっつけといて、
糸をつたって家をつきとめちゃおう、という尾行方法。
さっそくやってみたところ、たどりついたはナゾのアナ。
中には白蛇がいたのでした。
――と、いう神代の頃からある型の昔話のおひとつデす。
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