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氷厘亭氷泉の活動やラクガキをいろいろお届けしているブログです。
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ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
ねぶどたろう」さんです。

ねぶどたろう 根太太郎

おじいさんの脛(すね)に出来た
おおきな根太(ねぶと。腫物のこと)から出て来たという小さな男の子。



おじいさん・おばあさんに大事に育てられますが、
背はそのままで大きくなりませんでした。
しかし、あるとき「立派になってくる」と武者修行に出掛けて行きました。




その道中、根太太郎は川にいた河童をこらしめて、
「ねがいごとがかなうはこ」をもらって帰り、
おいしい小豆餅を山ほど食べたり、
おじいさん・おばあさんに立派な家屋敷や衣服家具を出してあげたり、
自分も立派な身長になったりして、しあわせに暮らしましたトサ。



陸前の国の志田郡などに伝わるむかしばなしに出て来るもの。


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ほんじつの「和漢百魅缶」へのアッ プは、
いっぱいいっぱいゼニー。「そのとしのじゅうえんだま」さんです。

そのとしのじゅうえんだま その年の十円玉


お金持ちになることが出来るというおまじないで、
まずはじめにおまじないを開始した年に発行された十円玉を1枚、
翌年からはその年の十円玉を1枚ごと、2年めは2枚、3年めは3枚…
と枚数を増やして、大切に貯めておくとよいというもの。







ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
流れて来たおうじさま。「しまねみのみこ」さんです。

しまねみのみこ 島根見皇子

下総の国の九十九里浜に「うつろぶね」で流れ着いたというおうじさまで、
匝瑳郡の野手で村人に助けられて暮らしてましたが、
どこから来たのかなどのことは一言も語らなかったといいます。



のちに、野手から大塚原・泉川に住まいを移ったそうですが、
20年近く暮らしてたといい、その霊をまつったのが内裏塚だとも言われてたようです。




『外五箇村日野手箇原神社考』という写本に記載されてるはなしに見られるもので
「島根見命」だとあります。漂流して来たのは大化3年(647)と設定されてます。



うつろ舟(洞船)については、中から皇子を出す時の描写に
「洞(うつろ)を割開(さき)」という表現などがみられます。




ほんじつの「和漢百魅缶」へのアッ プは、
流れて来たへびちん。「はくきはくじゃ」さんです。

はくきはくじゃ 白亀白蛇

大治元年(1126)、上総の国の八斗浦の海に流れ着いたという、
大きな白い亀(かめ)の背中に乗った白い蛇(へび)。
塩づくりのひとたちがこれを見つけて持ち帰り、
祠(ほこら)をつくってまつったといいます。




上総の白子神社に伝わるもので、
その後は鰯(いわし)がたくさん捕れるようになり、
村のひとたちは大変に栄えるようになったソウナ。
ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
高貴なおかた。「ふたのあるちいさなふね」さんです。

ふたのあるちいさなふね 蓋のある小さな舟

むかし、熊野に流れ着いた
「ふたのある小さなもの」に入ってたというおひめさまで、
紀伊の国の牟婁郡でひとびとに助けられたといいます。



高貴なたたずまいだったので、村人たちがお世話をしてましたが、
やがて亡くなり、それを葬ったのが市木の「稚子塚」であると語られてました。



ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
台湾のほうのうつぼぶね。「ルグラヲ」さんです。

ルグラヲ

排湾(パイワン)のひとびとに伝えられてる絶世の美女で、
ひとびとの祖先になったと語られてます。



卑南社に住む、ひかりかがやくような美女でしたが、
陰部にするどい牙が生えており、つぎつぎに男が死んでしまったので、
母の「カリカリ」は朱塗りの箱を造らせ、
ルグラヲを詰め込んで海に流させてしまいました。




朱塗りの箱は知本社に流れ着きました。
「どうぞこのまま海へ流して下さい」とルグラヲは泣いていましたが、
事情を知った「イライ」という若者が、工夫した砥石を用いて
牙を削ってくれたといいます。
その後、ルグラヲは「シガシカヲ」という長のお嫁さんになり、
無事に子宝に恵まれましたソウナ。






ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
ぷかぷか来た蚕。「うまかわのこぶね」さんです。

うまかわのこぶね 馬皮の小舟

むかし、馬(うま)とまじわりをもった娘がいたのですが、
娘の親は馬を桑(くわ)の木に縛り止めて殺してしまいました。



かなしみに暮れた娘は家から出て、
死んだ馬の皮で小舟、桑の木で櫂(かい)をつくると海に出てしまったのですが、
海の上で亡くなってしまいました。


流れ着いた娘の亡骸と馬皮の小舟に発生してたのが、
蚕(かいこ)という虫のはじまりなのだソウナ。



陸中の国の遠野などに伝わるもので、
「おしらさま」のはじまりについてのはなしの一ッ。




ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
とんでもない海のあれくるい。「わたつみのいかり」さんです。

わたつみのいかり 海神の怒

康和4年(1102)4月に、下総の国の高見浦(外川)で
巻き起りつづけたという、ものすごい震動と天にとどくほどの怒涛。



朝廷はこれを海神の怒りであるとして、
玉依姫(「わたつみのむすめ」)のまつられてる東大神を
海へと向かわせる祭礼をとりおこなわせたところ、
海は鏡のように鎮まり、天下はおだやかになったソウナ。



香取郡の東大神(玉子大明神)には、
このときに海中から見つかった霊玉がおさめられてるとも語られてます。



ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
海の神さまのおひめさま。「わたつみのむすめ」さんです。

わたつみのむすめ 海神の女

むかし、下総に流れ着いた「まるきぶね」に入ってたというめがみさまで、
海上郡の外川で漁師の妻に助けられました。
お腹の子供と共に、夫である神をたずねる旅の途中、
嵐にあって漂着したそうで、
外川や桜井の村人たちに手助けされて、男の赤ちゃんを産んだといいます。



海の神のむすめであると名乗っており、
玉依姫(たまよりひめ)だと考えられてます。



香取郡の東大神(玉子大明神)は、この女神をまつっており、
そこから高見浦(外川)の浜辺まで神輿を長距離渡して行く祭礼には、
女神を助けたひとびとが祭礼に深く関わってます。



海の女神が舟に乗って流れて来るかたちは
土佐の国の「おわんのごぜんさま」(お椀の御前様)などにもみられます。
ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
施錠された舟。「おつるぶね」さんです。

おつるぶね お鶴舟

むかし、四国に流れ着いた
錠つきの「はこぶね」に入ってたという美しいおひめさまで、
伊予の国の日振島につきましが、生首を持っていたことから
恐れられて海に突き戻されました。


ふたたび島に流れ着いて来たので、怖がったひとびとは
このおひめさまを殺してしまいました。
その後、おひめさまの霊がまつってくれとあらわれたので、
若宮としてまつられ、特に女のひとをまもってくれる存在となったそうです。



箱舟は幅3尺長さ4尺ほど、
生首は袱紗(ふくさ)につつまれた男の首だったといいます。




ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
うずらぶねでどんぶっこ。「ふじのごぜん」さんです。

ふじのごぜん 藤御前

むかし、四国に流れ着いた「うずらぶね」(うつぼぶね)に入ってたという
美しいおひめさまで、伊予の国の北条にとどまって、
絹の織物をつくって暮らしてました。



狩りに出てた殿様が、たまたまそのすがたを目にして
無理に屋敷へ連れ帰ったのですが、決して意に添おうとしなかったので、
蛇を大量につめ込んだ樽(たる)のなかに御前を入れて殺してしまいました。



翌年、御前のたたりで殿様は落馬して亡くなり、
村々にも流行り病が広がりました。
御前の霊は藤ノ御前神社としてまつられ、流行り病もなくなったそうです。




御前はみやこで罪に問われたために
難速津から流されたなどと語られてました。
ひめさかさま」(姫坂様)のようにうつぼ舟で流された、とされるはなしのなかでは
これも理由としてよく挙げられるもの。


蛇責めにされるはなしの展開も、各地に広くあるものです。
ほんじつの「和漢百魅缶」へのアップは、
伊予の方角の海流のほうに移って、「ひめさかさま」です。

ひめさかさま 姫坂様

むかし、四国に流れ着いた「うつろぶね」(うつぼぶね)に入ってたという
母親と幼いおひめさまで、まだ無人だった伊予の国の安居島にとどまってましたが、
島を訪れて舟に宝物があることを知った漁師によって殺されてしまいました。


殺されてるを知ったひとびとによって
母娘の霊は姫坂神社としてまつられ、
悪さをした漁師の家はたたりを受けて絶えたソウナ。






この母親はみやこで罪に問われたために流されたなどと語られてました。
うつぼ舟で流された、とされるはなしのなかではこれも理由としてよく挙げられるもの。



プロフィール
■雅号
氷厘亭氷泉(こおりんてい ひょーせん)
■職業
イラストレーター
絵草紙&錦絵研究人
まんが描き
こっとんきゃんでい 主宰
山田の歴史を語る会 同人
新・妖怪党 党しゅ
■自己紹介
ちッちゃかわいいキャラや、ドット絵、ゲーム系のイラスト、妖怪、和物など多岐色々に描いたり、紙もの、立体もの、デザインものなどなどグッズを造ったりしております。

■ PIXIV
■ instagram
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2019年5月より、Tシャツトリニティでシャツを展開させてます。


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