氷厘亭氷泉の活動やラクガキをいろいろお届けしているブログです。
本日は仮名垣魯文シショーのご命日でございますので、
ひょーせんが永らくお勉強しているもうひとつの分野「戯文」を特集してみます☆
こちらは、魯文シショーが創刊した新聞紙 『いろは新聞』の
第1440号(明治17年9月21日)のなかにある記事です。
まぁ、こういうカンジの文章が当時、新聞に載っていた、
というフンイキを味わってくださいませ。
★[]の中身は、原典にあるよみがなです。
もともとは全部にふりがながありますが、とりあえず無塚しいものへダケ附属★
○巷説[うはさ]の彙信[よせぶみ]
道路の流説だの巷閭[こうりょ]の風聞だのとは新聞記者の常套語[もんきりがた]だが
斯[かう]いふ濶[ひろ]い標題[みだし]を置けば
何事でもツイ一寸[ちょっ]と書込める重宝な思着きサ抔[など]とハ飛だ自製[てまへ]味噌
からいも有れば酸も甘いも五目種[ごもくだね]の椎茸[しひたけ]干瓢[かんぺう]
ごッた煮の鍋のうち孰[どれ]でもお好み撰取[よりどり]みどり
サア御覧[ごらう]じろ御覧じろ
烏森[からすもり]の丸本お俊[まるもとおしゅん]妓[こ]ハ
先日伯父[おじ]さんがお死亡[めでたく]なッた時に
妾[わたし]も此の土地で新三河[しんみかは]新吉時分から久しく売た名義[なまへ]もあり
殊[こと]に俳優衆[やくしやしう]も喰飽[たべあ]きて
関取株の力士[おすまふ]とも華麗[はで]な浮名の立[たつ]た身で
唯[たつ]た一人の伯父の不幸に夜明前の差荷[さしにな]ひ
其様[そん]な吝[けち]な葬式も出せないからと両肌脱[りやうはだぬぎ]の大奮発[おほはりこみ]で
大層に金を掛け岩倉様以来復[また]と無い立派な葬礼を出したとやら
ウラ町での噂でござい
サテ其次[そのつぎ]は新富河岸[しんとみがし]での立[たち]ばなし
菊五郎[おとはや]の弟子の登美松[とみまつ]は
近来めッきりと芸道の上達デハナイ
服装[みなり]がズット立派に成り洋服拵[ごしら]へも幾通りか
携具[もちもの]までも吟味を尽して何処[どこ]の茶屋小屋へ入ッても
決して履物へ灸を据られる処[どころ]か下へも置ぬ取扱ひ
那[あ]の容態でハ余程[よつぽど]の好貢人[いいみつぎて]があると見へる
ハテ何人[だれ]だらう
其次[そのつぎ]ハまた新橋日吉町の流行妓[はやりつこ]よし田屋の山登[やまと]は
浮名の歌妓[うたひめ]の新聞と新富の音頭舞踊[をどり]このかた頓[にはか]に売出し
日本橋から引越てより土着[はちぬき]の名妓[ねへさん]も及ばぬ程の忙がしさ
今度新富座の忠臣鏡[ちうしんかがみ]の劇場[しばい]にも御座敷筋と自前とで
都合三四度見物したが其の度毎に楽屋中不残[のこらず]へ遣ひ物の鮨[すし]の代が
例[いつ]も小十円とは華麗[はで]稼業の芸妓[げいしや]には珍しからぬことながら
名を売る人は兎角[とかく]黄白[ものしろ]のキリ離れが肝腎[かんじん]
サテ終結[どんぢり]ハ些[ち]と怪談見えた寥味[すごみ]な噺[はな]し
何でも江戸の真中橋[まんなかばし]辺へ毎夜[よなよな]青い燐火が燃立ち
時計台の家[や]の棟[むね]を飜然[ひらひら]と飛廻ると
近処[きんじよ]の噂を記者ハ笑ッて其様[そん]なことが有るものか
其[それ]とも十六日の炎暑[あつさ]に息吹返した蛍殿[ほたるどの]が
往来[ゆきき]の人の便利の為に丑満比[うしみつごろ]の刻限を見せる気で
車胤[しやいん]の読書摸擬[もどき]で長短針の在処[ありどころ]を
明瞭[はつきり]と照らしたのか但しハ何か仔細らしい話なら探ッた上で又お通知[しらせ]
今[も]一ッお増計[まけ]に或人[あるひと]が郵便函を題にして
迂鳴[うなり]たてた都々逸[どどいつ]に
入れりゃ直[すぐ]いく新聞投書
やれば出すのが記者の役
★補注
【岩倉様】岩倉具視。【黄白】おかねのコト。【車胤】蛍の光りで勉強をした例の偉人。
★色んな街の噂情報をずらーーーっと並べ立てたこちらの記事。
普通だったら細かく見出しがついて、1個1個掲載される形が普通なのですが
なぜか、ひとつの見出しの中にゴチャっと詰め込まれています(笑)
かいつまんでみると、芸者さんや歌舞伎役者さんの噂+不思議なおばけの話題で、
魯文シショーなどの戯作者出身の新聞屋さん達がターゲットにしていた
ごひいき筋の好む材料がおのずと見えて参りまスネ。
明治になっても、おおよそ20~30年代ころまでは
こういった傾向の記事主体の新聞が、一般の街のひとびとに好まれていたようです。
ひょーせんが永らくお勉強しているもうひとつの分野「戯文」を特集してみます☆
こちらは、魯文シショーが創刊した新聞紙 『いろは新聞』の
第1440号(明治17年9月21日)のなかにある記事です。
まぁ、こういうカンジの文章が当時、新聞に載っていた、
というフンイキを味わってくださいませ。
★[]の中身は、原典にあるよみがなです。
もともとは全部にふりがながありますが、とりあえず無塚しいものへダケ附属★
○巷説[うはさ]の彙信[よせぶみ]
道路の流説だの巷閭[こうりょ]の風聞だのとは新聞記者の常套語[もんきりがた]だが
斯[かう]いふ濶[ひろ]い標題[みだし]を置けば
何事でもツイ一寸[ちょっ]と書込める重宝な思着きサ抔[など]とハ飛だ自製[てまへ]味噌
からいも有れば酸も甘いも五目種[ごもくだね]の椎茸[しひたけ]干瓢[かんぺう]
ごッた煮の鍋のうち孰[どれ]でもお好み撰取[よりどり]みどり
サア御覧[ごらう]じろ御覧じろ
烏森[からすもり]の丸本お俊[まるもとおしゅん]妓[こ]ハ
先日伯父[おじ]さんがお死亡[めでたく]なッた時に
妾[わたし]も此の土地で新三河[しんみかは]新吉時分から久しく売た名義[なまへ]もあり
殊[こと]に俳優衆[やくしやしう]も喰飽[たべあ]きて
関取株の力士[おすまふ]とも華麗[はで]な浮名の立[たつ]た身で
唯[たつ]た一人の伯父の不幸に夜明前の差荷[さしにな]ひ
其様[そん]な吝[けち]な葬式も出せないからと両肌脱[りやうはだぬぎ]の大奮発[おほはりこみ]で
大層に金を掛け岩倉様以来復[また]と無い立派な葬礼を出したとやら
ウラ町での噂でござい
サテ其次[そのつぎ]は新富河岸[しんとみがし]での立[たち]ばなし
菊五郎[おとはや]の弟子の登美松[とみまつ]は
近来めッきりと芸道の上達デハナイ
服装[みなり]がズット立派に成り洋服拵[ごしら]へも幾通りか
携具[もちもの]までも吟味を尽して何処[どこ]の茶屋小屋へ入ッても
決して履物へ灸を据られる処[どころ]か下へも置ぬ取扱ひ
那[あ]の容態でハ余程[よつぽど]の好貢人[いいみつぎて]があると見へる
ハテ何人[だれ]だらう
其次[そのつぎ]ハまた新橋日吉町の流行妓[はやりつこ]よし田屋の山登[やまと]は
浮名の歌妓[うたひめ]の新聞と新富の音頭舞踊[をどり]このかた頓[にはか]に売出し
日本橋から引越てより土着[はちぬき]の名妓[ねへさん]も及ばぬ程の忙がしさ
今度新富座の忠臣鏡[ちうしんかがみ]の劇場[しばい]にも御座敷筋と自前とで
都合三四度見物したが其の度毎に楽屋中不残[のこらず]へ遣ひ物の鮨[すし]の代が
例[いつ]も小十円とは華麗[はで]稼業の芸妓[げいしや]には珍しからぬことながら
名を売る人は兎角[とかく]黄白[ものしろ]のキリ離れが肝腎[かんじん]
サテ終結[どんぢり]ハ些[ち]と怪談見えた寥味[すごみ]な噺[はな]し
何でも江戸の真中橋[まんなかばし]辺へ毎夜[よなよな]青い燐火が燃立ち
時計台の家[や]の棟[むね]を飜然[ひらひら]と飛廻ると
近処[きんじよ]の噂を記者ハ笑ッて其様[そん]なことが有るものか
其[それ]とも十六日の炎暑[あつさ]に息吹返した蛍殿[ほたるどの]が
往来[ゆきき]の人の便利の為に丑満比[うしみつごろ]の刻限を見せる気で
車胤[しやいん]の読書摸擬[もどき]で長短針の在処[ありどころ]を
明瞭[はつきり]と照らしたのか但しハ何か仔細らしい話なら探ッた上で又お通知[しらせ]
今[も]一ッお増計[まけ]に或人[あるひと]が郵便函を題にして
迂鳴[うなり]たてた都々逸[どどいつ]に
入れりゃ直[すぐ]いく新聞投書
やれば出すのが記者の役
★補注
【岩倉様】岩倉具視。【黄白】おかねのコト。【車胤】蛍の光りで勉強をした例の偉人。
★色んな街の噂情報をずらーーーっと並べ立てたこちらの記事。
普通だったら細かく見出しがついて、1個1個掲載される形が普通なのですが
なぜか、ひとつの見出しの中にゴチャっと詰め込まれています(笑)
かいつまんでみると、芸者さんや歌舞伎役者さんの噂+不思議なおばけの話題で、
魯文シショーなどの戯作者出身の新聞屋さん達がターゲットにしていた
ごひいき筋の好む材料がおのずと見えて参りまスネ。
明治になっても、おおよそ20~30年代ころまでは
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